古の和色の襲色目の層から浮かび上がる、尾形純の森羅万象の刹那の形

蒲葡(えびぞめ)、青碧(せいへき)、香染(こうぞめ)、紅紫(べにむらさき)、萱草色(かんぞういろ)……。日本には古来伝わる千百余色の伝統色があると言われるが、これらの和色について深く感じるようになったのは、尾形純の作品と出会ってからである。2008年の「和温の霊び」(DOKA Contemporary Arts)、2010 年の「禅の庭ZEN GARDEN」(Tobin Ohashi Gallery)、2012 年の「KAOMISE」(Nikei Fine Art)「利休庭園」(銀座三越8 階ギャラリー)とここ数年の彼の作品は、日本の自然に宿る森羅万象の美を懇々と呼び起こすものであり、私たちが日常の中で忘却しがちな和の色を再生するものである。

和色とは古来の人々が山々の木々や花の色を自らの装いとして身に着けるために苦心惨憺をし、探し当てた色であるが、尾形純の作品を覆う繊細な色彩もまた、彼の試行錯誤の末から生み出されるものなのである。

そしてその地の色に漂う幽玄な魂の形というべきもの。見る者によっては、それは風の形として目に映るかもしれないし、あるいはもっと哲学的なもの、小林秀雄が言う「美を求める心」の心象風景のようなものが立ち上がってくるかもしれない。ここ数年、日本の「禅」というものに引きつけられ、その精神を絵画の中で表現することに苦心している尾形の姿を想起するにすれ、個人的には臨済宗(禅宗)の歴代の高僧碩徳による遺誡偈頌(ゆいかいげじゅ)が現代芸術として転生したかのような印象を覚える。遺誡偈頌、略して遺偈(ゆいげ)とは禅僧たちが入滅に際して、後人のために自己の境涯を示した書であるが、末期(まつご)を飾るものだけにあって、そこには入魂としか言いようのない筆跡が生々しく残されている。その気迫と同じものが尾形純の作品には刻まれている、と言っていいのではないだろうか。もちろん、ひとつの作品を仕上げるごとに、肉体的に彼が死ぬわけではない。しかし、精神的にはまるで生と死を繰り返すかのような作業が続く。創作の過程で、その一筆になんらかの過誤が生じた場合、それまで丹精込めて作り上げた和色の地まで惜しげもなく破棄してしまう、ということを本人から聞いたことがあるが、然(さ)もありなん、彼のスタイルは地色の下に隠されたまた違う色を筆によってまるで削り取るかのような、もしくは掘り当てるような作業の末に生まれたもので、まさに一期一会。やり直しのきくものではなく、刹那を形にしたものなのである。

以前、その刹那を捉えた筆跡の美しさばかりに気をとらわれ、感想を述べたことがあるが、そのとき、尾形純から、「しかしやはり重要なのはその刹那を受け止める地を作る作業なのです」と聞いて深く感じ入ったことがあった。彼はもともと洋画の油絵からこの道に入り、20 代の頃は白と黒を基調とした抽象画を多く発表していた。東京芸術大学大学院美術研究科にて保存修復技術油画を終了し、1997~98 年には文化庁在外研修にてニューヨークに留学し、Rustin Levenson Art Conservation Associates にて現代絵画の技法研究ならびに保存技術の研究をしている。まさに油絵の技法を知り尽くしたうえで、逆に日本の精神をその技法と融合させ、新たなる境地を模索しているのだ。日本画は線の絵画であり、禅画の雪舟をはじめ、その線の力強さで画力を物語る作品が多いが、油絵から端を発した尾形純はその日本画の平面的な線の呪縛からはなから解き放たれている。それゆえに構築できる立体的な世界観の秘密は一見、単色に塗りつぶされたかのように見える和色のキャンバスにあり、それはレンブラントの地塗りと同じく有色地塗りで、白色の上に明色や、暗色の色材で作られている。表に見える色の下にはいくつもの和色が襲色目(かさねいろめ)の層となって隠れていて、そこに筆が入ることで、地の色と下の色とが融合し、水と溶け合って現れ出て、思っても見ない表情を覗かせるのである。

尾形純の作品と向き合うことは、現在の日本人の眼が見落としがちな、目に見えぬ自然の気配と向き合うこと。巧緻な自然の色と形を思い出すことである。ときの移ろいや、生あるものの変容をもそこには表されている。その和の豊かな色と溶け合いたい。

金原 由佳(映画ジャーナリスト)
Yuka Kimbara (Movie Journalist)

Close
To Top Drag View